先月の創立記念日から1ヶ月が経ち、医療法人遠山病院は67年と1ヶ月を迎えたわけですが色々と昔の書類を整理していたら初代理事長遠山富夫と2代目理事長の文章を見つけました。
現在も、医療介護業界にとっては順風満帆とは言えない世情ですが文章を読むといつの時代も何かしら問題はあるのだと感じさせられます。
改善しなければならないこと、挑戦しなければならないこと様々ありますが職員一丸となって乗り切っていこうと改めて感じさせられた文章を以下に掲載します。
ご一読下さい。
〜医療法人 遠山病院50周年記念誌より〜
「春を待つ」(昭和39年4月院内報『創刊の辞』より)
初代理事長 遠山 富夫
遠山病院広報の創刊は現在の様に医療問題が暗い谷間にある時に、あの雪の峠の向こうにはもう春が来ているんだ、一つ勇気を出してこの峠を越えて行こうと強く励まされた様な喜びと希望と将来への期待とを感ずるものである。一つの病院で労使がいがみ合い、にらみ合っていては医療の問題は絶対に解決されない。益々悪化の一途をたどるであろう。大体、医師、看護婦その他病院従業員の多数に自分の専門とする分野を深く掘り下げねばならず、会議、会議といっている間にも学問の方はどんどんと駆け足で進んで行き、自分があっと気が付いた時はずっと後にとり残されているであろう。
全く時の移ろいは早く学問への道は遠いのである。俗に医師が政治屋になり、六法全書をふりまわす様になれば終わりであると云われるのは、この間の消息を云うのである。
然し政府が現在の様に低医療政策で医師、看護婦、その他の医療従業員諸君の犠牲に基いて今後もやって行く事になると、当面の敵は院長でも理事長でもなく、政府であると云い得るのではないだろうか。
ともあれ、戦後二十年−−−−−、医療制度も大きくゆるやかながらカーブを描いてその曲がり角に来ている。
従業員の皆さん、小異を捨てて大同につき皆で力を合わせ一つ大ホームランをカッ飛ばそうではないか。
歯を食いしばって、ホントに諸君、御苦労ではあるが、ここで一辛抱して、雪の峠を越えて行こうではありませんか。峠の向こうには春が来ている。蕗のとうも片栗の花さえ、あの純情な乙女の乳房のような色に咲いているではないか。らんまんと桜の咲きくずれる春も近いのだ。
歯を食いしばりながらも勇気を出せ。
皆ひるむなよ。
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「春の暖かさを信じて」(はじめに 50周年誌に寄せて 平成9年)
二代目理事長 遠山 美知
昭和22年5月20日、遠山富夫は文字通り零からの開業をスタートした。戦後の医療機関不足という情況もありましたが予期しない沢山の方々の御協力を戴き50年を過ごすことができましたことを、亡き開設者と共に心から御礼申し上げます。
50年間を振り返ると、病床不足の時に病院にすることができ、引揚者の町、青山町に医療機関不足の時に青山町病院を開設することができたこと、看護婦不足に悩んでいた時に准看護養成所を開校できたこと、零歳の保育所がない時にキンダーホームを開いたこと、予防医学協会を創立したこと、老人保健施設の岩手県第一号を開所したことなど様々なことが走馬灯のように心をよぎります。
将来を考えることよりも目の前に在る窮状に目を瞑ることができず実行に移したということでした。総てがスムーズにいったわけではなく、昭和43年6月の開設者であり全責任者であった遠山富夫の急逝は計り知れない打撃でした。病院経営継続の可否を問われた時期であったと思います。先が見えなくとも全員が働かなければならないという心境ではなかったかと思います。
現在は、社会全般の不況という厳しい時代で医療の世界にも冷たい風が吹いてきております。切り抜けていくためには全職員の協力が最重要です。開設者の零からのスタートに思いを致し、春の来ない冬はないと信じ、歩みを進めていきたいと望んでやみません。